整形外科医(ryuuta19)の独り言 -150ページ目

医者とカネ

医者になって、悪友から「カネもってるんだろう、おごれや」とヤクザまがいのことを言われたのは一度ではない(絶対におごってあげないけど)。

医者になれば高給取りになれると信じている人は、たくさんたくさんいる。そしてうらやましがる。僕の両親もそうだった。

僕は家計の全てを嫁さんに頼んでいるから、どのくらい稼いでいるのかは知らない。欲しいときにもらうのだが、毎日病院と家の往復だから、使う機会がない。飲み会があるときぐらいだ。

一般のサラリーマンと比べたら幾らかは多くもらっているのかもしれないが、カネがほしいから医者になったという人は少ないと僕は思う。今の世の中、医者よりも楽してカネを稼ぐ方法はたくさんある。本当に頭が良くてカネを稼ぎたい奴は、医者なんかにはならないだろう。

僕の私見だが、医者になる共通したきっかけをみな少なからず持っている。それは「身近に病人がいた」ということだ。病人のつらさ苦しさを目の当たりにして、それを自分が治したろうと思い医者を志す。ドラマみたいな話だが、実際に多いと僕は思う。

医者もいろいろだから、もちろん病的にカネが好きで、診察時間中にもデイ・トレーダーと化している医者もいる。そっと背後に立って、バットでノートパソコンごと場外ホームランしたい気持ちにかられる。

我慢している。大人だから。

僕はアルコールが嫌いでも好きでもない。友人たちと飲む酒の席は好きだ。そういう「場」が好きなだけで、アルコールそのものに執着していない。

執着してしまう人もいる。アルコールは依存性があり、やめるにやめられない可能性がある。「アルコール依存症」だ。僕は「ニコチン依存症」。全世界で一番多い依存症は①ニコチン(タバコ)②アルコール③大麻らしい。

昨日の当直中「アルコール依存症」の患者がやってきた。半径2m酒臭い。腹が痛いという。僕は点滴を指示した。おそらくアルコールで胃が荒れているという診断だ。三日も酒しか口にしていないという。末期だ。

点滴が終わってもまだ腹が痛い、入院させてくれという。来たな、そう言って病院をホテル代わりにするつもりだな、と判断した。うちはそんな病院ではない、酒をやめなければ根本的な解決にはならない、と僕は力説した。しかし相手は聞いているのか酔っ払っているのか聞きたくないのか僕の説明を理解できない。

こういう時は家族を呼びつけて強制的に帰宅させるのだが、アルコール依存症の人はたいがい家族から見放されている。この人も例外ではなかった。

結局、精神科への紹介状を強制的に持たせ、しぶしぶといった感じで帰っていった。

僕は思う。酒に溺れ酒に沈んでいき、若造の医者にこっぴどく叱られる人生とはなんだろうと。おそらく僕の紹介状などすぐに捨ててしまうだろう。だけど一万分の一でも希望があるのならそれを見逃さないように拾うのが、僕ら医者の良心ではないだろうか。

医療はサービス業

「医療はサービス業」という言葉を医療関係者ならばよく耳にする。はたして本当にそうだろうか?

医療はサービス業ではない、と僕は思う。だから患者に迎合して「○○さま~」なんて呼ぶ必要はない。敬称である「○○さん」で十分だ。子供は「○○ちゃん、○○くん」でいい。

なぜなら、医療行為は人体を直接的にあつかうからだ。当たり前だけど。それをレストランや遊園地やバスと同列に考えることがおかしい。

真にサービス業ならば、なぜ広告に制限を設ける?
「うつ病ならここ!専門医12名!ナースはベテランぞろい!A精神病院」
「リウマチ・関節炎の激痛が消える!注射・薬では治らない人はどうぞ。B整形外科」
「あなたの救世主。痔は必ず切らずにすむ。C消化器内科」
という看板をみたくないと僕は思う。誇張だからだ。サービス業はある程度誇張が入らないと商売にならない。医療に誇張は必要ない。

「患者様は神様」ではない。対等な立場にあると僕は考えている。病気という困りごとを助言&サポートすることが、医者を筆頭とした医療関係者の仕事だ。患者がそれを受け入れ一緒に病気を治していく。それが医療だろう。

整形外科はリハビリが非常に重要な位置を占めている。うまく手術をしても、リハビリの意欲を失った患者には何もつける薬がない。関節は拘縮し、筋力は落ちていく。患者と医療関係者が協力しなければ、特に整形外科ではいい結果にならない。

だから僕は心を鬼にして、九十代の大腿骨骨折の患者に歩け歩けと顔を見るたびに言う。そのたびにいやな顔をされるが、寝たきりになるのはその人だ。優しいことを言うことはた易い。真の優しさとは厳しさの中にあると信じている。

今の僕

どんな人間がこんなブログを書いているのか、気になる人たちのために(いないかもしれないけど)プロフィールをかいてみます。

年齢:30歳
性別:男
性格:頑固かつせっかち
体型:がっちり系
顔:西郷隆盛系
趣味:野球、読書
職業:整形外科医
職場:地方都市の地方病院(400床ぐらい?)
家族:嫁さん(25歳)、長女(3歳)、次女(1歳)
年収:知りません。嫁さんにきいてください。
夢:一流の整形外科医

以上です。

とりあえず2006/9/27 現在でのお話です。

インフォームド・コンセント

インフォームド・コンセント(以下ICと表記)って何?と思う人はたくさんいると思う。つまりは医療行為を行う際「説明と同意」を頂くための話し合い、と言えば理解できるだろうか?

「えー、こういう手術をします。手術しなければこういう不都合なことが起こります。手術したらこんな危険性はあるけれど、こんな利益もあります。手術しますか?」

僕はまだ医者三年目のペーペーなので、僕が医者になった時はすでにICが普通になっていた。だけどちょっとおかしいんじゃないかと常々思う。

どこがおかしいのか。医者のいうことに、よっぽどひねくれた人でない限り、もしくは医者側が信用されていない限り、反対する人なんていない。ICの最後に僕は必ず「何か質問はありませんか?」と尋ねるが、質問する人は1%未満だ。

つまり、医者のやりたい治療に誘導するための方便なのだと僕は思う。ICとは、悪い結果になったとしても患者に文句を言わせないため裁判沙汰にならないための、ツールなのだ。患者ありきのICではなく、医者ありきのICだと思う。

そんなもの、意味があるのか?三十年前のように医者のやりたいようにしていた時代と何が変わっているんだ?

以上は整形外科を三年やってきた僕の経験論に過ぎない。だから間違っているかもしれない。疑問はつきず、僕は悩む。